JR学研都市線の四条畷駅を降りて、西側の商店街を抜けたところに小楠公御墓所があります。墓所の入り口には右に「忠」、左に「孝」を刻んだ石柱があります。
南北朝時代、南朝の軍として四條畷の戦い で戦死した楠木正行(くすのきまさつら)の墓です。
所在地は大阪府四条畷市雁屋南町27-5
目次
四條畷の楠木正行の墓
四条畷駅を降り、小楠公御墓所を背にして東側に行くと、楠木正行を主祭神とした四條畷神社があります。
四條畷神社には四條畷の合戦で高師直(こうのもろなお)に敗れて自害した楠木正行の遺骸が葬られて墓石が建てられたと伝えられています。
当時は土を盛った上に墓石が置かれただけの墓所だったそうです。
墓地内には大きな楠が2本正行公の墓に寄り添うように伸びて墓石を包み込むように2本が1本となって伸びています。
境内には、「櫻井の別れ」を表した父子像があります。
この像を見ると、お父さんの前にきちんと正座した正行は子ども子供しています。そりゃ無理ないです。父親と別れたのは政行が11歳の時だそうで本当なら父親に甘えたい年齢ですよね。
楠木正成と楠木正行親子は櫻井で別れたと伝えられています。
少し離れたところに正行公の夫人の碑もありました。
四條畷駅の改札付近に楠木正成か正行の銅像が入ったケースが設置されていますが、小楠公だったか大楠公だったかはっきり覚えていません。
楠木正行のゆかりの地
楠木正行のゆかりの地を調べてみました。
首塚だけでも東大阪や京都など3カ所あります。
墓所も四條畷以外に東大阪六万寺町のお寺にもあるようです。
楠木正行ゆかりの地は以下になります。
楠妣庵観音寺(なんぴあんかんのんじ)
楠木正成の夫人が戦死した夫(正成)と子供(正行)の冥福を祈ったところです。
所在地は富田林甘南備にあります。
史跡桜井駅跡史跡公園
楠木正成と子の楠木正行が11歳の時に親子の別れをしたと言われています。
大阪府三島郡島本町桜井1丁目3の櫻井駅跡
「桜井の別れ」として有名な伝承地になっています。
唱歌の一つに「青葉茂れる桜井の」という歌詞があります。
続きは不明ですが、私も子供の頃聞いたことがあります。
「霊光院」
楠木正行終焉の地として「小楠公終焉所」と刻まれた石碑が建てられていますが、終焉場所かどうか不明です。
なぜなら、正行が弟の正時と自害したのは四條畷市付近だとも言われているからです。
さらに、正行は東大阪六万寺の往生院に本陣を置いたので、戦死したのは往生院の近く東大阪市四条町付近だという説もあるからです。
「霊光院」の所在地は:東大阪市上四条町になります。
正行寺
楠木正行の首塚は、東大阪や京都のお寺にあると伝えられています。
正行事は宇治市六地蔵の生業時境内にあります。境内の一角に正行と正時の首塚が密かに弔われてきたと伝わっています。
所在地:京都府宇治市六地蔵柿の木町 正行寺境内
宝筐院(ほうきょういん)
京都嵯峨野の宝筐院に正行の首塚があります。宝筐院境内には足利義栓の墓と楠木正行の首塚が祀ってあります。
また、本堂には小さな楠木正行像が安置されています。
所在地:京都市右京区嵯峨 宝筐院
宝筐院は紅葉の季節に行くと、とても美しいと言われています。嵯峨野や嵐山へは何度か行ったことがありますが、宝筐院はまだ一度も行ったことがありません。
飯盛山
飯盛山の山頂に、楠木正行の銅像があります。
この銅像は太平洋戦争で台座だけを残し、上の銅像の部分は供出されたそうですが、1972年に再建されました。
所在地:大阪府大東市北条
如意輪寺
奈良県吉野の如意輪寺には、楠木正行の辞世の歌が刻まれた扉が宝物殿に保管されています。
他にも、正行の兜や鎧の一部、正行の愛馬の鞍などの遺品が宝物殿にあるそうです。
また、境内には正行一族143名の神を埋めたと伝えられている髪塚があります。
所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
楠木正行の首塚(重願寺の手前)
楠木正行公の首塚が東大阪市山手町にありました。住宅地の一角にあるのでわかり辛かったので近所の方に聞くと教えてくれました。
勾配の急な坂道で道幅も狭いくて登るのも大変です。
以前は山手町や額田町などよく行っていたので急な坂道でもスイスイと登れたのですが、年月が経つと登るのが大変でした。
所在地:東大阪市山手町10-10
正行緑の井戸
枚岡神社境内に枚岡梅林があります。その入り口に井戸があり、伝承によると正行の首がこの井戸で洗われたというのです。
「楠木正行公縁の井戸」と看板がありますが、見る限りでは何の変哲もない普通の井戸です。以前は楠木正行公首洗いの井戸と看板に書かれていたそうです。
枚岡公園や梅林はよく行きましたが、あまり気にも止めなかったですね。
所在地:東大阪市出雲井町
楠木正行終焉の地
楠木正行の終焉の地は、東大阪市上四条町の霊光院
そこに「小楠公終焉所」と刻まれた石碑があるそうです。
機会があればさほど遠くはないので訪れてみたいなと思います。
正行の終焉の地が四条畷神社に墓があるので四條畷付近だったという説もあるようです。
また、歴史書には東大阪六万寺の往生院に本陣を置いたから、正行の終焉の地は現在の東大阪市四条町付近だとの説もあります。私的には東大阪市四条町ではないかと思います。
なぜなら、枚岡梅林の井戸で首を洗ったのだから、四條畷ではないと思います。
四条畷市から東大阪市の枚岡までかなり遠い道のりだから首を運ぶわけがないと思います。だから、最期の場所は東大阪市四条町ではないかと考察します。
まとめ
今回は、楠木正行のゆかりのちやお墓、首塚について紹介しました。
東大阪では、六万寺町のお寺にも墓所があり、正行公の首塚も東大阪市山手町以外にもあるんですね。京都の宇治市と、嵯峨野にも首塚があります。
なぜ京都に正行の首塚があるのかわかりません。ちなみに東大阪六万寺の往生院には正行の胴だけが葬られてているとのことです。